2011年9月11日日曜日

9・11に思うこと

コミュニケーションを最後まで突き詰めてみると…やっぱり「争い」になっちゃうのかな。「表現」も最後には「破壊」?つまりは「諦めどころ」が肝心だったりするのかも。

本当に好きな人(事or物)にはゆっくり近づいて、最適な距離を見極めたいけど…なかなかコントロールは効かないね。

夕方、作業の手を止め庭を見ると、輝くモミジアオイに目を奪われる。

無言のコミュニケーションに、してやられた。


音楽のコミュニケーションもいいね。
昔録音した音源から、

An Paistin Fionn (Irish Trad.)
http://www.youtube.com/watch?v=NatP1FYFczU

2011年9月6日火曜日

ちゃんと雨だれのケースの中に

「覚えている」ということが重要なのだと思う。

「今」も「未来」も不確定。過去だけが確かなものとして刻まれているわけで、経験だけが確かな財産に違いない。

本当は見落としてはいけない過去が、

ポロポロポロポロ忘れ去られているんだろうなぁ。