2016年12月29日木曜日

望みはひとつ

音楽特番「クリスマスの約束」を観ました。
スターダストレビュー根本要さんのお話から…

「4、5年前に高知のライブで、さだまさしさんが楽屋にやってきて言うんですよ…

『音楽やってる奴は3つしかないんだ。金・女・名誉…でも世のミュージシャンは全部手に入れてもなんでまだ歌ってるんだ??』
『さださんこそなんで?』
『やっぱりなぁ、もうちょっとうまくなりてぇんだよな…』

たまたま隣の楽屋の小田和正さんがずーっと練習しているのが聞こえてて…さださんが『な♪』って」

木工家も…おんなじですよ。
あ、ただ僕はその「3つ」とやらは一つも持っていませんが(笑)

2016年11月27日日曜日

禍福は糾える縄の如し

「君の名は。」という映画があります。

最初に原作を一時間で読んでしまいました。映画も観ましたが、なかなか考えさせられる作品だと思いました。

ひょっとしたら・・・
10年前だったらこんなにヒットしなかったかも。

ある日ある時、日常がぶち壊される危険を身近に感じる今だからこそ、あの映画がリアリティを持って響くように思います。

3年前、見上げた夜空にシャッターを切った途端、流星が目の前を横切ったことがあります。つい先日も、北斗七星にレンズを向けて撮った一枚目に美しい流星が写り込みました。

幸不幸は一定のリズムを持って現れるのだとしたら、とりあえず次のラッキースターが現れるまで、しっかり生きることと致しましょう!

2016年2月9日火曜日

仕事が先か道具が先か

久しぶりに四方反りカンナに真鍮で口埋めしました。ハードに使うと、台があっという間に狂ってしまうからです。

さすがに曲面に金属の象眼を施すわけですからそれなりに手間なのですが、一度作ってしまえばかなり長期間快適に使えて便利です。

普通は仕事があって道具があるわけです。しかし、その道具があるからこそ、作ってみたい新しい形を思い描けたりすることがあります。

近いうちに、また何か道具をいじってみることにしましょう。

2016年1月30日土曜日

発展途上の道すがら

コカリナに高音域と低音域の笛を付けたトリプルコカリナ

実は少しデザイン変更しています。低音の管を太くして、かなり音が良くなっています。
今までより肉厚を薄くした分、加工の精度がちょっと厳しくて大変でしたが・・・

さて、今度はどこをいじりましょうか?(笑)

2016年1月20日水曜日

誰が為に星は輝く?

子供の頃、星を写真に写すには長時間露光をしなければならず、星空は必ず光跡として「線」になってしまったものでした。「点」として写すためには高価な追尾装置を使う必要があったのですが、仮にそれを使ったとしてもそうすると今度は地上の風景はブレてしまうことになります。

今はカメラの感度が上がり、「点」として写せるだけでなく天の川や星雲まではっきり手軽に映像として残せるようになりました。その感激は、それが当たり前の時代に生まれてくる子供たちには理解できないものかも知れません。

出来るからやるのか、やるから出来るのか

モノづくりの世界でも同じような技術革新が進んでいます。三次元プリンターが安価で利用できるこの時代に、手間を掛けて木を削ることに違和感を感じる人たちもいることでしょう。しかし、自分の手で作り上げていく感激はどうあっても手放したくはないものです。

木工品を依頼して下さる方にはいつも頭が下がります。自分では思いつかない発想をいただけることもしばしば。更に「楽しんで作って欲しい!」などと言ってもらえることもあり、本当にありがたいです。

モノ自体は余るほどあるこの時代だからこそ、他にはないものを喜んでいただけるのかも知れません。

手が遅くて、お待たせしてばかりですが…

ひとつひとつのストーリーを大切に育んでいきたいものです。

2015年7月25日土曜日

密やかなる応援団

バブル世代を生きた身としては「いい車に乗りたい」とか「いいものを持ちたい」とか、どこか浮ついた感覚というものが染み着いているところがあります。

しかし、半世紀生きてきた実感と、より厳しい時代の到来を見つめていると、モノで「格好を付ける」ということの空しさを感じざるを得ませんね。

木工に携わる人間としましては、自身の生き方を考えてしまいます。

ますます貴重になる木材。
変化し続ける時代のニーズ。

上っ面の格好良さよりも、真摯な思いを形にしていきたいものです。

高台から眺める街の灯り・・・
(写真は高峰高原からのものです)
一つ一つの光の中に人々の暮らしがあるかと思うと気が遠くなります。

誰かが誰かを思うとき、そのお手伝いに自分の力が役に立つのであれば、それが一番格好が良いのでは?と思うこの頃です。

2015年2月1日日曜日

美しきタイムカプセル

「シェナンドー」というアメリカ民謡が頭を離れません。知らなかった曲ではないはずですが、なぜか「今」の自分に突き刺さってしまいました。曲調が特に暗いわけではないのに、ある種の悲しみが痛いほど伝わってきます。

絵とか音楽とか、イメージのタイムカプセルはある日突然自分の中で爆発して、言葉にならない感情を伝えてくれますね。

美しければ美しいほど、それは深く深く心に刺さっていきます…


「シェナンドー」についてはこちらのブログが詳しいです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/66190326.html